高城 黎也
はじめに
私は、2012年8月11日から12月9日までの四ヶ月間、ハワイのマウイ島に留学に行ってきました。海外に留学目的で行くのも初めてでハワイに行くのも初めてだったので、目に映るものすべてが新鮮でいろんな経験をし、共に様々な「初めて」に出会えた。
ハワイでの生活
Ⅰ.寮
私は、ハワイでは寮生活だったので掃除、洗濯、料理をすべて自分たちでやっていた。
寮には同じ大学の日本人の長期留学3人と短期留学7人で、男女部屋別の生活だった。部屋の形はH型で真ん中がキッチンで両サイドに部屋があって一部屋に二つのベッドとタンスがあり、トイレ,シャワー別でした。海外では浴槽に浸かる習慣がないのは、驚きだった。4階にはランドリーがあり一回1.5ドルで乾燥機も1.5ドル、計一回3ドルなので一週間分溜めて洗っていた。
寮にはWIFIが敷かれていたので、パソコン、スマートフォンでインターネットが使用可能だ。寮の裏にはバスケットリングがあった。
Ⅱ.学校
学校は、ハワイ大学マウイカレッジに付属する語学学校MLI(Maui Language Institute)に通っていました。 そこには日本をはじめ、台湾、中国、韓国、タヒチ、アイスランド、スペイン、イタリア、ベトナムなど様々な国の人たちが集まっていた。
授業内容は、もちろん全部英語で科目は6教科(Reading, Speaking and listeningなど)がある。私が一番好きだったのはFilm Studyという映画を見る授業だった。
各科目、3つのクラス(Beginner, Intermediate, Advanced)に別れて行われていた。昼休みは20分しかなく学生食堂で並んでいると終わってしまうほど短かった。しかしランチを食べながら授業を受けてよかったので救われた。ここで気が付いたのはアメリカの学校では授業中に食事をしてもいいが、遅刻にはすごくシビアでとても厳しかった。
学校は週4日。金、土、日は休みで、月に一回金曜日にExcursionがあり、地元の高校生とカヤックをしたり、ホテルにある芸術作品を見学しに行ったりした。
学校を通して気が付いたのは、国ごとの「国民性」が授業に現れていた、例えば、日本人は発言や質問が少なく発音等は苦手だがGrammarなど文法は出来て、ヨーロッパ出身者は発言や質問が多いなどのところだ。
Ⅲ、食事
一番困ったことは、やはり食事だった。ハワイの物価は高くはないが、海鮮類や日本の商品は高かった。最初の月は近くのモールのフードコートでランチプレートや、マクドナルドがすごく安かったのでそこですましていたが、ランチプレートもすごいボリュームで肉が分厚く、野菜は基本食べなかったので、不摂生のせいでお腹を下してしまった。だから、ちゃんと自分で自炊するようになる。日本に居る時料理はほとんどしたことがなかったので、はじめはパソコンの料理サイトで調べて簡単なパスタを作っていていた。買い物も寮の隣にあるファーマーズマーケットという火、水、金におこなわれる農家の人が営む、野菜直売の市場に行った。そこは魚も安くエビ5匹で2ドルだったので重宝していた。
休日の過ごし方
留学での目標は「今までにしたことないこと」をおこなうだったので、最初にギターをはじめた。ルームメイトに教えてもらい練習していたが二週間でやめてしまった。サーフィンをきっかけに、スケートボードもはじめたが、最終的に続いたのは、バスケットボールとサーフィンだった。元々、日本に居るときから友達とバスケをしていたので寮の裏でシュート練習をしたり、大学の友達や地元の友達と遊んだりしていた。個人的にバスケでよかったのは、寮に住む地元の少年と二人で1on1 をしたことだ。そこで片言でもコミュニケーションをとれたことだ。
サーフィンは絶対はじめようと思っていたが、友達は誰もできなかったのでインターネットで調べて我流でやっていた。ボードはレンタルでして、バスで1時間のラハイナでしていた。そこは遠浅で、下は岩だらけなので、怪我が絶えなかった。背中に岩が刺さったり、ウニを踏んだりした。ビーチではサーフィンしている人はとてもフレンドリーで、軽い会話ができるいい場所だった。
まとめ
この留学は私の人生で大切な思い出になるに違いない。留学で、多くの人と出会い友達になった。ハワイアンだけでなく他の国もちろん日本人とも仲良くなった。その中で、価値観や考え方、言葉の違いにぶつかり自分なりに考え乗り越えたこの「経験」は一生ものだと思う。
寮生活では、親のありがたみ、苦労を実感でき、色々なことを学べてよかったです。異文化に触れることで知る自文化の良さ、悪さにも気付くこともできた。マウイを第二の故郷と呼べるほど、地元の人々や環境がよかった。すべてに感謝することを学んだ。
(国際学部学生 2011年入学)
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