金田 智宏
大阪学院大学国際学部には92年に入学しました。在籍した4年間の私なりの正直な感想は、1・2年生の時勉強した国際関係や外交関係等の概論といった勉強に、なかなか興味を見いだせなかったということです。
しかし3・4年生になり、日本外交史や西洋の近現代史等の具体的な勉強に移りました。当時の政策決定者が、なぜこのような判断をしたのだろうかとか、当時の社会的文化的雰囲気により、このような事象が起こったのだろうと、想像力を膨らませながら勉強するようになりました。近現代史や国際関係の知識が少し付き始めてから、それらの概論を読んでみれば、すごく示唆に富んだ本だなぁと気づくようになりました。
なぜ、個別具体的な歴史や外交史に興味を持ったのかといいますと、勉強が「人を理解する」方法の1つであると考えるようになったからです。外交史の中には、個人や国の英知の集積の結果、歴史的な決断をした例もあれば、どう見ても他に取るべき選択肢があったのではないかと疑ってしまうような決断もあります。これらのことは当然「人」によって考えられ、実行に移されたことです。私にとって国際学部での勉強は、基本的には「人を理解する」ことでした。
現在私は南の島の日本大使館に勤務していますが、国際学部で学んだことが十分に役立っています。当地では、時間や仕事に対する感覚だけでなく、国際政治に対する見方が、日本のそれとは極めて異なっています。だからといって彼らの価値観や慣習等を理解せずに仕事を進めると、とんでもない結果が生まれます。現に自身や自国の価値観のみで物事を進めたため、マサツを生む結果になった事柄もよく見られます。
人の一生の勉強は「人を理解する」ことだと思いますが、国際学部はこのことを強く意識した学部です。国際と名が付く以上、日本国内や日本人のことだけでなく、外国のそれを理解することを要求されます。国際理解は口で言うのは簡単です。しかし本人(日本)の持っている価値観や道徳観は、なかなか頑固なものであり、このことをどの様にして他人(外国)と折り合いを付けるかは、結構大変です。国際学部での勉学は、このことを認識する上で非常に有意義でした。
さて、最後に、「国際」と名が付く学部であるだけに外国語は必須です。しかし私は中国語もフランス語も出来ませんでした。また英語も得意なわけでもありませんでした。3年生の時、頑張って英語の文献を読むぞと意気込んだのですが、1ページに1時間もかけて読んだ(?)のを覚えています。外国語に関する失敗談も数え切れないほどあります。いまだに有ります。今は仕事の半分以上は英語ですが、やはり日本語で話したり書いたりする方が楽です。でも、国際学部を選び、外交の仕事をした以上外国語は避けては通れませんので、こつこつと頑張るしかないと日々努力しています。
(公務員 1999年大学院修了)
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