鈴木 浩之
2007年9月末、念願のアメリカ・シアトルでの留学生活がスタートしました。コミュニティーカレッジでの一年間のビジネスプログラムで、4学期に分かれています。始めの1学期目は、ビジネスレターの書き方、電話のかけ方、効率の良いミーティングの進め方などビジネスに特化した内容のプログラムでした2学期と3学期は、ビジネスのクラスは一つに減り、その分自分たちの取りたい授業を現地の学生と一緒に受講することが出来ました。僕は、Customer Service, Intercultural Communication などを受講しました。
アメリカの授業ではグループワークが多く、プレゼンテーションをグループでしたり、ディスカッションに関わる機会がとても多く、緊張と興奮の毎日でとても充実していました。プライベートでは、シアトルからメキシコに10日間かけて車で旅行したり、テニスしたり、自然が多いので、頻繁に大きい山や、国立公園に行きハイキングしていました。
シアトルでは、ホストファミリーにお世話になりましたが、始めの3か月ぐらいはまともに会話をすることも全然できませんでした。文章では簡単に理解できるものが、英語を実際に使ってみると、何を言っているのか、どのように話したらいいのかといったことが全くわかりません。日本の中学一年生レベルの英会話が出来なかったのです。いつも「ゆっくり話してください」「一文ずつで止めて話してください」と言っていました。
思っていた以上に使えない自分の英語力と、さらに新しいという環境によるストレスで、いつも逃げ出したい気持ちでした。学校が終わりバス停から家まで歩いている時、涙があふれ出てきたことも何度かありました。言いたいことも上手く言えず、新しい環境でストレスに潰れそうになっているときも、ホストファミリーが優しく支えてくれたからこそ、しんどいことも乗り越えることができたと思っています。
最後の学期では、それまで学んだことを生かすために、自分でインターンシップする会社を見つけて、履歴書を送り、面接を受けて、3か月間働くというプログラムを経験しました。
僕は、服飾に興味があったので、アメリカではかなり大きい Urban Outfitters というアパレル会社に直接訪れて履歴書を渡し、面接を受けた結果、その店頭に立ってカスタマーサービスとファッションを学ぶことができました。その3か月間、英語が仕事で使えるほどに流暢に話せるわけではなかったので、お客さんの言うことが聞き取れなくて怒らせてしまったり、電話を切られたりと大変な毎日でした。しかしその過酷な状況下だったからこそ、実戦的な英語力が少なからず身についたと思います。
時間の過ぎるのは早いもので、気がつけば僕は飛行機の中で、関西国際空港が見えるところまで帰って来ていました。留学の一年間は信じられないくらい早く過ぎて行きました。泣き出しそうな過酷な日々で始まり、少しずつ楽しむことができるようになり、それでも苦難や挑戦ばかりの毎日でした。留学は人生の中で一番濃く充実した一年間になりました。一生懸命になれる英語というものに出会えて本当に良かったと思います。もちろんこれからも英語の勉強は続けるつもりだし、そのための努力はこの先も惜しまないつもりです。それと英語を勉強する過程で応援して支えてくれたすべての人に感謝したい思いです。
(国際学部2006年9月卒業 現在就職活動中)
ちきゅうじんブログ: シアトルへのビジネス留学(1)決意と出会い
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