上住谷崇
英語と中国語ができれば国際人というラジオのCMがあります。語学学校のCMだと思いますが,私はそれを聞くたびにイヤな気持ちになります。国際人が何であるのかは,大変難しい問題だと思います。しかし語学ができるだけでは、国際人ではないと感じるからです。
私は自分の可能性を探るために,国際学部を休学して、中国の清華大学などで2年間私費で語学留学をしました。その中で中国語を学ぶアメリカ人や韓国人と大変親しくなりました。お互い辞書を片手に、時間の経つのも忘れてカタコトの中国語でコミュニケーションをはかりました。カタコトでも言いたいことが通じたときの喜びは忘れられません。
そのとき絶えず問われたのは,日本の政治・経済はどうなっているのか?日本文化はどんなもの?ということでした。私が,スラスラと説明できた訳ではありませんが,このようなことを語れないといけないと痛感しました。
私は今就職活動中です。就職状況はバブル期並みに良いと言われていますが,企業の学生を見る目はとても厳しいものがあります。私も、順調に活動が進んでいるわけではありません。うまくいかず落ち込むこともあります。しかし北京で過ごした最初の夜、空腹に耐えかねて、中国語もまだ良く分からないのに食堂に入り、やっとのことで注文をして食べることができたギョーザを思い出しながら,また私を支えてくれた友人、両親,先生のことを考えながら,もう少しがんばろうかと思いながら活動を続けています。
(国際学部学生 2001年入学)
外国語の力は、国際コミュニケーションの必要条件ではありますが、十分条件ではないように思います。おっしゃる通り、当該の語学力で語るべき内容がなければ、コミュニケーションの面白みが半減してしまうことにもなるからです。語るべきものを肥やすためには、なによりも、国語力、そして読書が重要な位置を占めることになりそうです。ここから大学の勉強がスタートする気がしてなりません。
投稿情報: 塩狩峠 | 2006/06/01 16:26