津崎乃絵
私は、韓国・大田(テジョン)というところに行っていました。期間は、4ヶ月弱でした。大田は、韓国で5番目に大きい大都市です。そして、大田から地方に行くときの交通面が非常に便利ですが、大田内での交通面は不便でした。
次に、私が留学していた大学についてです。大学は、培材(ペジェ)大學という大学です。校内には、銀行、郵便局、コンビニ、カフェ、眼鏡屋、文房具屋、花屋があります。
培材大學は、とても大きな大学で、また、校内は坂道だらけで、移動するときは、とても大変でした。
そして、クラスは授業が始まる前に受けた語学力テストで、クラス分けをされました。私のクラスの人数は、17人でした。17人中16人が中国人で、私一人、日本人でした。先生は、各クラスに2人ずつでした。授業は、月曜日から金曜日で、9時から12時までの3時間でした。また、月1回程、留学生全員でキムチやワインを作りに行きました。また、韓国の昔の楽器を使った演奏会や遊園地にも行きました。しかし、行く前に、行きたいか、行きたくないかを多数決で決めて、行きたい人が多ければ行くし、行きたくない人が多ければ行きません。
最初の頃の授業は、中国人がずっと中国語で話すので何を言っているのか理解が出来ませんでしたが、少しずつ韓国語で話してくれるようになったので良かったです。
次は、留学中に生活していた寮生活についてです。部屋は、6人部屋か14人部屋があります。私は、6人部屋でした。ルームメートは、全員韓国人でした。そして、寮にはいくつかの規則がありました。月曜日から木曜日は夜の11時に点呼をとります。また、月曜日から日曜日までに外泊をする時は、外泊届を出します。しかし、火曜日は外泊禁止の日になっています。そして、2週間に1回、部屋の大掃除があります。あとは、料理をしてはいけません。この全ての規則を守らないとマイナスポイントになります。マイナス30ポイントになれば寮から追い出されます。
寮の地下には、コンビニやスポーツジム、学生食堂、コンピューター室、テレビルームがありました。
次は、毎日の様子についてです。平日は、12時に授業が終わるので、ルームメートと一緒に学生食堂で、お昼を食べるか、学校の近くにある韓国料理屋に行って食べていました。学生食堂では、200円から300円程で、韓国料理屋は、300円から800円程で、食べることが出来ました。そして、ご飯を食べ終えてから、バスに乗ってウネン洞あるいは、トゥンサン洞という場所によく行って、買い物やカフェ、カラオケやビリヤードなどをして、遊んでいました。夕食は、そこら辺にある韓国料理屋に行って食べていました。
大田は、遊ぶ場所が限られているため、クラスの友達や先生方に、よく会いました。先生に会うと、カフェに行って奢ってくれました。
雨や雪が降ったときは、寮にずっといました。主に、パソコンで韓国のテレビを見たり、ルームメートとゲームをしたり、家族とチャットをしたりしていました。そして、ご飯は出前を注文して食べていました。
次は、学校の周辺についてです。まず、学校の正門を出たら韓国料理屋さんが、たくさんあります。多くの学生が、住む町なので安くて量が多く、そして美味しい店が多いです。また、韓国料理屋だけではなく、カラオケやビリヤード、ゲームセンターがあります。
裏門を出れば、文房具屋や印刷屋、スーパーがあります。もちろん韓国料理屋もありますが、日本料理屋もありました。
最後は、観光についてです。土日は、大田に居ても、どこも観光する場所がないのと、寮生活をしている韓国の学生は、実家に帰るため基本暇です。なので、金曜日の授業が終わって日本の新幹線のような乗り物、KTXに乗ってソウルによく行っていました。また、ソウルに韓国の友達がいるので、ソウルで行きたかったところに連れて行ってもらいました。そして、家族がソウルに旅行で遊びに来たので、韓国の友達に教えてもらった観光場所に家族を連れて行きました。あと、大阪学院大学の仲の良い先輩もソウルに遊びに来たときがあったので、その時、会ってソウルを案内して、一緒に遊びました。
そして、私は前から済州島に行きたかったので、培材大學の韓国の友達と一緒に観光しに行きました。済州島では、車を借りて車で済州島を回りました。済州島に行く前に友達とインターネットでいろいろと調べて、行きたかった観光地に全部回りました。あと、済州島では有名なミカンや黒豚、刺身が日本より安くて食べることが出来ました。また、気温が大田より済州島の方がとても暖かくて、観光するのには、最適でした。
(国際学部学生 2011年入学)
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