本田 崇晃
スンチャンヒャン大学留学(2008年10月から2009年7月)には勉強をするために行きましたので、日々勉強に努めました。
スンチャンヒャン大学での生活には英語が必ず必要であり、英語で韓国語を学ぶ、英語で韓国文化を学ぶというスタイルでした。そのために何を学ぶにも英語は必要不可欠であり、英語を話せることが前提でした。恥ずかしながら、私は、韓国語・英語両方とも話すことができなかったため、まず韓国語を勉強するのではなく、英語力から磨きはじめました。単に英語の文法の本を読んで勉強するのではなく、私がおこなった英語の学習はコミュニケーションでした。
スンチャンヒャン大学には英語をネイティブとする留学生が50名近くいるため、その中で仲のいい友人と多くともに過ごすことで、英語でしかコミュニケーションをとれない状況に自分を追い込みました。常にメモ帳を持ち歩き、分からない単語や熟語などをメモし、英語力向上に努めました。また、できるだけ友人からの誘いには応えて、ともに英語や韓国語の勉強をしました。
留学開始から2ヶ月近くたった頃から、少しずつ英語の聞き取りができるようになり、まだバラバラの文法ではありましたが、自分の言いたいことが英語で表現できるようになり、この頃から韓国語の勉強にも力を注ぎはじめました。
嬉しいことに韓国語と日本語は、文の成り立ちが全く同じであり、単語の発音も似ているものが多いため、韓国語を学習するにあたって他国の人たちに比べて日本人には簡単なため、授業にはついて行くことができました。文の成り立ちがほぼ同じですので韓国語においては、単語・熟語に時間を費やして勉強しました。また、韓国人とのコミュニケーションをとるように務めました。
特に2セメスター目からJapanese village ができたため、日本語を学びたい韓国人と同じ部屋となり、韓国語を教えてもらいました。またJapanese villageができてから、Japanese villageに住んでいる韓国人に対してエクスチェンジが開かれ、週3回(1回1時間)、計6名の韓国人とエクスチェンジをして日本語を教えました。また時々その時間に韓国語を教えてもらいました。
また2セメスター目からは、スンチャンヒャン大学国際センタースタッフから留学生でサッカーチームを作るように勧められたので、毎週日曜日は、留学生、国際センターのスタッフ、外国人教師たちと、年齢に関係なく、ともにスンチャンヒャン大学のサッカーチームと試合をしました。その他国際センター主催の国際交流の行事には積極的に参加し、韓国人はもちろんのこと、中国人、モンゴル人、アメリカ人、カナダ人など多くの国の学生と交流をしました。
現段階ではまだ将来のことははっきりとは決まっていませんが、語学力を生かせるような仕事に就きたいと考えています。そのためには韓国語・英語の力をさらに伸ばすことが必要です。また韓国に留学したことを生かすために、今後、大阪学院に留学に来た韓国の人たちと交流したいと考えています。
(国際学部学生 2007年入学)
スンチャンヒャン大学留学(2008年10月から2009年7月)には勉強をするために行きましたので、日々勉強に努めました。
スンチャンヒャン大学での生活には英語が必ず必要であり、英語で韓国語を学ぶ、英語で韓国文化を学ぶというスタイルでした。そのために何を学ぶにも英語は必要不可欠であり、英語を話せることが前提でした。恥ずかしながら、私は、韓国語・英語両方とも話すことができなかったため、まず韓国語を勉強するのではなく、英語力から磨きはじめました。単に英語の文法の本を読んで勉強するのではなく、私がおこなった英語の学習はコミュニケーションでした。
スンチャンヒャン大学には英語をネイティブとする留学生が50名近くいるため、その中で仲のいい友人と多くともに過ごすことで、英語でしかコミュニケーションをとれない状況に自分を追い込みました。常にメモ帳を持ち歩き、分からない単語や熟語などをメモし、英語力向上に努めました。また、できるだけ友人からの誘いには応えて、ともに英語や韓国語の勉強をしました。
留学開始から2ヶ月近くたった頃から、少しずつ英語の聞き取りができるようになり、まだバラバラの文法ではありましたが、自分の言いたいことが英語で表現できるようになり、この頃から韓国語の勉強にも力を注ぎはじめました。
嬉しいことに韓国語と日本語は、文の成り立ちが全く同じであり、単語の発音も似ているものが多いため、韓国語を学習するにあたって他国の人たちに比べて日本人には簡単なため、授業にはついて行くことができました。文の成り立ちがほぼ同じですので韓国語においては、単語・熟語に時間を費やして勉強しました。また、韓国人とのコミュニケーションをとるように務めました。
特に2セメスター目からJapanese village ができたため、日本語を学びたい韓国人と同じ部屋となり、韓国語を教えてもらいました。またJapanese villageができてから、Japanese villageに住んでいる韓国人に対してエクスチェンジが開かれ、週3回(1回1時間)、計6名の韓国人とエクスチェンジをして日本語を教えました。また時々その時間に韓国語を教えてもらいました。
また2セメスター目からは、スンチャンヒャン大学国際センタースタッフから留学生でサッカーチームを作るように勧められたので、毎週日曜日は、留学生、国際センターのスタッフ、外国人教師たちと、年齢に関係なく、ともにスンチャンヒャン大学のサッカーチームと試合をしました。その他国際センター主催の国際交流の行事には積極的に参加し、韓国人はもちろんのこと、中国人、モンゴル人、アメリカ人、カナダ人など多くの国の学生と交流をしました。
現段階ではまだ将来のことははっきりとは決まっていませんが、語学力を生かせるような仕事に就きたいと考えています。そのためには韓国語・英語の力をさらに伸ばすことが必要です。また韓国に留学したことを生かすために、今後、大阪学院に留学に来た韓国の人たちと交流したいと考えています。
(国際学部学生 2007年入学)
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