糸田川 稜平
私が韓国を留学決断したのは、周りの皆より少し遅かった。私は最初ニュージーランドか、韓国に留学しようか迷っていたからだ。英語圏の国か、それともまったく未知の韓国語か。悩んだ結果、私は韓国を選んだ。その一番の決め手になったのが、韓国人の友人の影響だ。その友人は高校2年生の時から日本で生活しており、とても日本語が上手だ。そんな友人からたくさん韓国の良さを聞いた。次第に私も韓国に興味を持つようになり、留学するに至った。しかし、決断したのが遅かったため、韓国語をあまり知らないまま現地へ向かった。現地に到着した時には言葉や文字が理解できず、正直“ここでやっていけるのか”とも考えた。
言葉を知らないというのは、私にとって大きな壁となった。そんな時助けてくれたのが、ペジェ大学日本語学科の学生である。韓国語がわからなかった私のために通訳になってくれた。今思うと、彼らのおかげでなんとか韓国生活のスタートがきれたようなものだ。
私たち留学生は校内にある学生寮で生活することになったのだが、私の部屋は4人部屋で私以外は韓国人というなんとも「アウェイ」な部屋であった。やはりその部屋でも言葉の壁は大きく、その部屋には日本語が分かる生徒が一人もいない。そんな環境での生活のため、私は現地に行ってから焦りを感じ、韓国語の勉強を必死で行った。日が経つにつれて、なんとか少しずつだが韓国語が分かるようになった。しかし、ルームメイトたちと仲良くなるのは難しかった。一言も話さず一日が終わることなんてことも多々あった。これでは駄目だと思い、拙い韓国語で思い切って食事に誘ってみたところ、快く応じてくれた。仲良くなるきっかけを作れたこともそうだが、自分の言葉が伝わったことに私はとても喜びを覚えた。この日からさらに勉強することが楽しくなった。
授業は、レベル別にクラスが分けられていた。みんな韓国語を使ってコミュニケーションを取り合い、気付けば友達も増えていた。中国、台湾、ロシア、カザフスタン、アルジェリア、アメリカなど、様々な国の友達ができた。初めはやはり外国人という壁があり、友達になりたくても一歩が踏み出せない自分がいた。しかし韓国語を学んでいくにつれて、自分の思いを言葉にして伝えられるようになってくると、そんな壁もなくなってきた。やはり言葉というのは大切なコミュニケーション方法の一つだと、再確認させられた。
友達もたくさんできて、様々な観光地によく出かけた。プサンやチェジュトやソウルなど、韓国の観光地にはほとんど行くことができた。いつも韓国人の友達が一緒についてきてくれていたが、ある日、日本人の友達と2人でソウルに行くことになった。2人とも韓国語が上手なわけでもなく、困り悩んだことも多々あったが、自分たちでホテルを取り、食堂で食事をし、買い物をすることができた。この経験はすごく良かったと思う。考える力が付いたと思う。留学生活後半では、一人でも行動できるようになった。
言葉を知らない私を助けてくれたこと、様々な観光地に連れて行ったくれたこと、小さな疑問でも嫌がることなく教えてくれた現地の友達。私はそんな友達のように、困っている外国人を助けられるようになりたいと考えるようになった。言葉の壁は大きかったし、文化の違いも肌で感じることができた。韓国に留学するという決断は間違っていなかったと思う。今は韓国留学を生かし、韓国語のレベルアップに励んでいる。韓国語能力検定も取れるように頑張っている。私が助けられたように、様々な人たちの手助けができるよう頑張りたい。
(国際学部学生 2010年入学)
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