天谷 茉佑香
私は韓国の大田(デジョン)にあるペジェ大学に留学した。ペジェ大学は中国からの留学生が多く、大学内の総人数の1000人以上は中国人、という話を聞いた。実際私が授業を受けたクラスもはじめはドイツ人やモロッコ人、コンゴ人などいろいろな人がいたが、その人たちが抜けていくと最終的には私を含めの日本人2人と先生の韓国人以外クラスは中国人だけになった。授業中もそうであるが、休み時間になると中国語が飛び交い、まるで中国に留学しにいっているみたいであった。中国人は個人的に英語を絶対喋れると思っていたのだが意外とまったく喋れない人もいて少し驚いた。
大学の校内も含め学生街はすべて坂だった。しかも自分の住んでいた寮が坂の1番上にあり、一応食堂もすぐ近くにあったのだが、どこへ行くにも坂ばかりだった。坂の距離は短くても急な坂や、長くて急な坂、長くてゆるやかな坂といろいろあって、よくこんなに坂の種類が作れるな、と感心するほどだった。昼は食堂があいているのだが夜は閉まっているので、夜は下まで降りてご飯を食べに行くか、裏門の坂を下りてカップ麺やお弁当などを買いに行くかだった。どちらにしても坂を下りないと食べ物が買えないことはとても大変であった。
韓国人は食事を基本的に一人では食べない。スターバックスやカフェなどでは勉強するものを持ち込んだり、パソコンを持ち込んだりして一人でいる所も見るが、そこ以外では見なかったように思う。しかも一人でいる人は圧倒的に女性が多かったように思う。日本のどこにでもある「ガスト」や「サイゼリア」のような店は、ほとんど見かけない。ピザ屋は大学の付近に違う店が3店ほどあった。マクドナルドはほとんどなくロッテリアが主流だった。「サムギョプサル」という日本で言う焼き肉があった。日本ははじめから一口サイズの肉が出てくるが、韓国は1枚肉が出てきて裏表をだいたい焼いてからハサミで一口サイズに切る。ハサミはいろんな料理に使われており、冷麺を食べる時も店で頼むと冷麺が出てきて目の前で切ってくれる。とにかく韓国人は1つの料理を大勢で食べることを好み、それが常識のようだ。
韓国人には日本人よりも温かみを感じた。それを感じるには韓国で住む事が必要なのだが、ミョンドン(ソウル市内の観光場所)で地下鉄を乗っていると「私は少しだけ日本語がわかります。今何か困っていませんか?」などと聞いてくれる人もいる。同じ首都でも東京の人にはできないことなのではないか。
韓国と日本との間ではまだ過去の問題が残っており、まだ消えることはないと思う。ペジェ大学に通っていた時も、年配の人から日本人ということで嫌な顔をされたりあからさまに態度を変えられたりすることもあった。でも今の若い人たちの間では考えが変わってきており、昔は「あの人日本人みたい」という言葉の意味がとても悪い意味だった。でも今では「オシャレな人、斬新な人」という意味に少しづつだが変わってきている。これは現地で友達になった韓国人の女の人から言われたことである。解決しなくてはならない問題はたくさん残っているが少しづつでも隣国として協力できる国になれたらと深く感じた。
(国際学部学生 2009年入学)
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