秋鹿 雄哉
私たちが訪れたバンコク市内は想像以上に発展していて、高層ビルが並び、モノレールが走り、街中にはスーツを着た人たちが忙しそうに歩いていた。外観は日本と変わらないように見えた。
だが、一歩、通りの内側に目をやると、コップや器を掲げ、地べたに座り込み、頭を垂れ、朝から晩まで、排気ガスの舞う道路の片隅で、物乞いをしている人々がいた。ボロ雑巾のような衣服から覗く痩せ細った四肢。年端もいかない子供たちもいた。
「格差」という言葉が浮かんだ。自分の住んでいる国が、どんなに恵まれているのだろう。日本で暮らしているとつい忘れてしまうことだが、あたりまえのように物が溢れ、住む家があり、嫌々ながらも学校に通い、欲しいものを買い、暖かい布団で眠り、そして明日を迎える。
自 分たちが普段、あたりまえに過ごしている日常が、実はとても幸福なことだということ。日常の不平不満など、本当に貧しさと戦っている人たちの日常に比べる と、なんてクダラナイのか。好むと好まざるとにかかわらず、善悪にかかわらず、自分たちが生きている世界が、他と比べてどうなのか、それを知ることも大切 なことだと、そう思った。
今回、タイという国を訪れたことで、自分の中の価値観や認識というものが変わった気がする。例えば、それまで は、ニュースや新聞の記事でタイのことを報じていてもあまり気に留めることはなかった。何が起こっていても、所詮は対岸の火事程度にしか思っていなかっ た。だが、自分の足で訪れたことで、親近感というか、興味をもつようになった。ニュースにも目がいき、真剣に内容を聞き考えるようになった。
今まで関心を抱くことのなかった対象を多少なりとも身近に感じるようになったこと、それが今回の一番の収穫だったと思う。そしてそれこそが、「フィールドワーク」の本質だと思った。
Seeing
is
Believing(百聞は一見にしかず)。自分と違う、自分の知らない文化に目を向け、自分の肌で感じることで、自分の文化と比較でき、類似点や相違点
を発見し、新しい価値観につなげることができる。これは何も海外に限ったことではなく、身の回りのことでも、まず知ることで何か変わるかもしれない。ま
た、そういった姿勢を持つことが、国際学部の学生として大切なことだと思う。そのことを意識しながら、学国際学部の学生として、残りの大学生活を充実させ
たい。
(国際学部学生 2005年入学)
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