上住谷 崇
長い留学生活の中でも、やはり初日に始めて日本以外の地に足を踏み入れたという感動は忘れがたく、何もかもが新鮮に見えたものだ。それは2004年早春であった。
北京空港でまず自動販売機を見つけ、両替したお金を入れてみたのだが一向に買える気配がない。困っているところへ、ちょうど一人の中国人が寄ってきた。その人は「どこへ行くつもりだ」と同じ質問を繰り返してくる。挙句の果てには私の荷物をもって「連れて行ってやる」というので、私は「いらない、いらない」と拙い中国語で言ったのだが、その人はかまうことなく駐車場へ向かっていく。
もうこれはしょうがない、連れて行ってもらおうと決心した。行き先は漢字で書けば伝わるので助かったが、初めて現地の中国人を相手にして自分では多少話せると思っていた中国語が一切通じないという現実に愕然とした。
その人たちは「黒タクシー」つまり何の許可もなく個人的に客を乗せている少々危険なタクシーだったのだ。正規の約四倍以上の料金を払ってようやくホテルに着くことができた。
次の日の朝、前の晩に電話で予約しておいたタクシーに乗り、目的地である清華大学留学生楼事務室を目指した。今考えてもどうやって、何語で予約したのか全く思い出せない。人間必要に迫られると何とかなるのだと改めて感心する。
初めて入ったその建物の中は、中国語を勉強する教室も併設されていて、よく言えば味のある、別の言い方をすれば古くて汚い建物だった。親切とはいえない係りの人の態度の中、私はほとんど相手の言っていることを予測で聞きながらも、なんとかお金を納めれば手続き完了というところまで漕ぎついた。
ところで、このとき寮について説明されたかというと、そんなことは全くない。私もやってきて二日目だったが、自分で要求していかないと何も手に入らないということを雰囲気で感じ始めていた。ちょうど手続きに来ていた日本人に話しかけてみると、その人は私よりも中国語がうまく、快く寮を管理している先生の部屋へ連れて行ってくれた。
寮で私の同室者になったのは、韓国人の男の子であった。私より3歳も年下で、釜山の出身だった。幸運だったことに、二人の気がとてもよく合った。さらに二人の中国語能力がほとんど同じだった。普通、同室者は選べないが、外国語を学ぶ上で最も会話する機会が多いため、とても重要で、仮に学力に差があったとすると、上手い方はあまり上手くない中国語をずっと聞くのは根気がいることだし、反対の場合は相手の喋っていることが知らない単語ばかりで聞き取れず会話にならないなどの問題がある。日本人同士で同室になると、日本語を喋る時間が格段増えてしまう。また年齢差や、文化や生活習慣の違いで困ることも多いはずである。そういった点から見ても私はとても恵まれていた。
そんな彼との生活は夜遅くまで起きていて、朝はよく学校の授業に遅刻した。中国の朝は早い。授業も8時から始まるのが普通である。ただ勉強や授業に対して決してまじめとはいえない二人であったが、教室に行くと私たち二人が一番流暢に話していた。私たちは初めて会ったその日から平均でも6時間以上は話続けていて、よく夜から朝になるまでたわいも無いことを話していたからであった。
(IT関連会社勤務 2007年3月卒業)
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