島谷 俊行
私は現在、東京都立高校の教員をしています。
国際学部は、今から約7年前に卒業しました。ゼミは三上ゼミです。そこで様々な分野を学びました。そして色々な経験を持った仲間たちと出会いました。色々な人たちと出会えたからこそ、自分も、昔から持っていた夢に進むことを選ぶことができたのだと思います。
教員への夢は、中学・高校時代から確実なものとなりました。大学へ入った動機のひとつは、教員免許が取れるということです。しかし、本学で本来取得可能な地理歴史科での受験は、倍率が高く、私にとっては高い壁でありました。
半ば、教員になることを諦めていた私が「採用試験受けるぞ!」と考える様になったのは、大学4年の教育実習で世界史の授業をし、体育祭の練習などで生徒とかかわることができたからです。もちろん実習生でしたから、まともなことはできませんでした。先生らしくなどありませんでした(いまでも先生らしくないですが(笑))。それでも、生徒に対する誠意は必ず生徒に響くことが分かりました。教育実習終了後、手さぐりで教員採用試験の勉強や情報収集を始めました。
卒業後、教員になるのに5年かかりました。教員に受かるために様々なことをしました。
浪人して3年目までは地理歴史科や社会科で、そして4年目からは英語科で受けました。実は、浪人中、佛教大学通信教育部で、比較的倍率が高くない英語の教員免許を取得したのです。そこで教員や教育関係の仕事を目指す仲間と出会い、情報交換や切磋琢磨することができました。
また、浪人中、定時制高校、中学校での講師経験をすることができました。講師をしていて、採用試験の勉強との両立には苦しみましたが、通勤電車の中や隙間の時間を利用して勉強しました。教員採用試験の勉強に専念していた時期もありました。最後に受験したときは、そうでした。そのときは予備校に週3回通い、同志達と面接試験の練習をして、教員試験を受ける上で欠かせないモチベーションを高めました。家で勉強したときは、最大で1日12時間勉強しました。
そして、関西の採用試験だけでなく、北海道、東京都、愛知県と他の道都県を受けました。最後に受験したときは、あるところを除いて全て2次試験を受けることができ、その中で東京都の合格通知を受け取ることができました。
感無量でした。跳び上がりたくなるような嬉しさであったことは、今でも覚えています。浪人中、大阪学院大学時代の友人の中には、大学卒業と同時に社会に出て行った人も多く、引け目を感じていたこともありました。また、思うように行かないことへのあせりも感じていました。そうしたことから、一時、採用試験を受けることさえ諦めようと思った時期もありました。しかし、同じ道を目指す仲間に励まして貰ったおかげで、もう一度奮起することもできました。そうして勝ち取った合格でもあるのです。
合格して、運よく採用先も決まり、今は正規教員として担任も持っています。でもなかなか指導がうまく行かないことが多いです。それでも、生徒に提示する教材を工夫しながら、生徒の学力を高めるにはどうすればいいだろう、と常日頃考えています。
教員になってもうすぐ3年目。といいつつも、まだまだ未熟者で失敗も多いです。毎日毎日自分の未熟さに対して悔しさを感じています。しかし、今は2年後に生徒が卒業できるように、へこたれないで日々研鑽を重ねたいと思います。3年間生徒を教え、学校から送り出すというのは私の夢です。
また、私の夢はこれだけではありません。やがては地元兵庫県に帰り、兵庫の教育に貢献できる教員になりたいと思っています。そして、いずれは大学院に入って専門的に教育や心理学を学び、現場に還元したいと考えています。
末筆ではありますが、大阪学院大学国際学部で幅広い教養を得ることができました。それは英語教員になった今でも十分役に立っています。国際学部に通う皆さん、多様な経験を持つ仲間たちと出会ってください。きっと、自分の進むべき道が見つかるはずです。
(教員 2000年卒業)
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